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KY no BLOG

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朝まで日本サッカー応援宣言

毎年だったか4年に1度だったかテレビ朝日で放送される
  “朝まで日本サッカー応援宣言”

今年のW杯の惨敗からオシム監督の誕生、Jリーグに関してそうそうたる評論家の方々が
熱く議論を交わしていた。個人的には城、前園、小倉というアトランタトリオがもう解説者として出演していたところに時代の流れを感じた。


-W杯の惨敗

ジーコがもたらしたのは選手に考えさせるということ。
よくジーコが自由でオシムが組織という比較をされるが
本質的には「考える」というのは同じである。
そもそもサッカーは考えるスポーツであり
さらに言えばスポーツはすべて考えるものである。
だから別に考えることが珍しいことではなくジーコの時からも行われていた。

ジーコ時代には「黄金の中盤」をはじめ「国内組」「海外組」という
チームの中でカテゴリー分けするメディアが多かった。
その報道が全て正しいかは分からないが
報道されるということは多少なりとも近い実態があったのは事実

そもそも今回のメンバーは初顔合わせということではなかった
中田英、中村、小野、稲本、高原、柳沢、中澤、宮本、アレックス、福西、小笠原、川口、楢崎
トルシエの時から共にプレーしていたメンバーである。

トルシエの時との違いは精神的支柱となるベテランの存在である。
トルシエの時にはゴン中山、秋田という2本柱がチームを支えていた。
戦力的に見れ当時でもゴンや秋田より上手くて若い選手はたくさんいた。
でも彼らは“戦える”選手であり、それはピッチ上でも、ピッチの外でも。

中田英がブラジル戦の終わったあとに、センターサークルで横たわっていた。
でもその場に選手の誰も声をかけにこなかった。
あれがあのチームの内情を現れだったのかもしれない。

もしあそこに中山や秋田、もしくは三浦カズ
予選も戦った三浦淳、藤田のような存在が1人2人いたら、、、と思ってしまう。

そういう意味では田中誠のケガは痛かった。
3バックの右として不動だったが本職はスイーパーであるため宮本の代わりも務まった。
そして意外にも彼はチームのムードメーカーだったらしい。
しかも中田英とはアトランタからのメンバーてあったため彼の理解者でもあった。

ジーコは確かに選手としては偉大な選手であったが
監督としては経歴のない初心者
それでも「ジーコは神様だから」「ジーコならなんとかしてくれる」
そんなメディアにあおられて日本全体に楽観ムードが流れてしまった。
それでもアジアカップを連覇したり予選を初の1位で通過したり
最低限の結果を残してくれたことは評価できるし意味のある4年間だったと思う。

基本的に監督が誰でも日本代表の活躍を応援している自分
ジーコの時でも応援していたし奇跡的な勝利の瞬間は熱狂していた。
そしてやはりメンバーの技術や経験を見ると史上最強だったため
ジーコの最後の敗戦コメントが「フィジカルで負けた」「ウチにロナウドがいたら勝っていた」
という腑に落ちないコメントで終えたことに虚しさが残った。
by yujyujyu03 | 2006-12-29 13:56 | sports
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