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KY no BLOG

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我が人生

自分はもうすぐ23歳です。正直心は17歳くらいで止まってる気がします。
ふと思った。「昔ってどんなんだったけ?」と。
つうわけで振り返ってみよう。我が人生。

中学時代、自分の周りは個性的というか我の強い連中が多かった。
しかも市内でも有名なガラの悪い中学だったんで、もうケンカなんか日常茶飯事。
部活でも先輩の後輩いじめは当たり前だった。
何故か自分は、背がでかかったせいか、あまり目をつけられず仲良くさせてもらってたな。
でも居心地は良くなかったす。そん時は自分の言いたいことをあんま言えない環境だったからね。部活も明らかに自分の方が実力が上でも先輩を必ずスタメンに入れるていう意味不明の采配に嫌気がさしてた。だって上級生との試合でもうちらが3対1くらいで勝っちゃうんだもん。
そんな中勉強だけは頑張ってた。理由は多分、とりあえず成績良い方が良いていう考えから。
そんで周りとは離れた新学校に入学しあまり楽しくなかった中学におさらば。

高校時代、そもそもこの高校を選んだのも自分が狙える新学校だったから。
まぁここで周りの関係が全部リセットされたから思いっきり自分を出せたわけよ。容赦なく。
ここで色んな影響受けた人間と出会った。まぁ1番にはshunだろうけど。
あれだけ長い時間を共に過ごしたのは、今考えると気持ち悪いくらいだが、1度もケンカらしいケンカもなく2人と周りの連中でバカやってたなぁ。その他にも個性が強すぎる連中と意気投合して毎日笑っていた気がした。楽しかったなぁ、あの頃。教師はFUCKだったが。
良い親友と良い部活仲間、良いクラス仲間、良い男友達、良い女友達に恵まれた3年間。
そんな中でも勉強は頑張ってたなぁ。もう成績が悪いのが許せない体質になってたんで、部活との両立も苦じゃなかった。そして進路決め、いずれ入学する筑波大学を志望したのは、別に社会工学に興味があったわけでも都市計画を学びたかったからではない。聞いたことある大学の中で「筑波」て響きが1番好きだったから。本当にコレだけ。ちょっと調子乗ってたから、推薦、センター失敗。2次での挽回も虚しくはかなく桜は散り浪人生になる。

浪人時代、初めて親元を離れ男子寮暮らし。日韓ワールドカップを機にむさ苦しい男の集団結成。文面ではとても書けないような笑いで、笑い転げてた毎日。それでも失敗を糧に必死の勉強。おそらく1番勉強した1年だろう。今考えると予備校ってマジ受験のプロ。高校で学んだことの半分は無駄知識だった。だからただ単に大学に入るだけが目的のやつは、予備校に行け。
2度目のセンターはど緊張で震えたぉ。2度目の方が緊張したけど、緊張に負けずやるだけやって、まぁまぁの結果を残し2次に受かりめでたく浪人生活は桜が咲いて終ったぁ。

そして大学、実は自分入学式の前に、もうサッカー同好会に行ったんです。多分新入生の中で誰よりも早くサークル行ったんじゃないかな?でも何回か行ったが雰囲気合わずに自然消滅。大学の講義は経済系の授業が多く何がなんだかサッパリ。つまんねぇと言いながら2年が過ぎてしまった。マジ面白い友人に囲まれて嬉しい限りなんだが、大学で何やったと言われればノーコメントで応えてしまうような感じ。専攻に分かれてちょっと都市に興味を持ちはじめる。が決定打に欠ける。そして就職活動、いくらか業界を見てきたが、自分がやりたいことは違う気がするという感情が付きまとっている。

自分に対する反省、それはもうちょっとしっかりした決断をしてから行動すること。勝手に自分の進んできた道の中でしか考えれないように、勝手に縛ってきてる気がするのだ。せめて大学の選び方はもうちょいしっかり考えるべきだったかな。別に大学だけが全てじゃない、専門学校だってあるし高卒で働くてことを少しも考えなかったからなぁ。ちょっと今専門学校いいなぁて思ってる自分もいるしね。もともと決断力に欠ける自分、もっとある程度の強い意志を持ってから行動するべきだなぁて実感。

でも決して筑波に来て嫌だったとかはないよぉ。自分の気持ちの持ち様では本当に素晴らしい環境だと思えるし、活かしきれなかった時間が多いことに後悔。
何しろ共に笑って共に悩める仲間ができたことは本当に嬉しいことだと思う。
だから残りのつくばでの生活、しっかりした1つ1つの決断でぶつかって楽しんで悩んで笑っていこうと思うのだよ。こんなにいっぱい悩んだ時は無いし、こんだけ悩んだから自分の気づいてないところで成長してるはずだし。


うわ、長い日記になったな、おい。
全部読んでくれた人、感謝します☆
by yujyujyu03 | 2006-04-27 06:29
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